アイちゃんのあかりを訪ねて

忘れかけていた日本の風景をノスタルジックに再現 - 高松市編 -

四国村(四国民家博物館)(続き)

来たことのあるはじめての場所


旧大久野島燈台

大久野島は広島県竹原市の沖合に浮かぶ周囲4kmの小さな島、旧大久野島燈台は、明治27年(1894)5月15日に初点灯した石造燈台を移築。光源は当初は石油で、大正14年(1925)からアセチレンガスが使われ、昭和11年(1936)からは電灯へと変遷していきました。燈台と並ぶように、燈台に勤務していた職員、燈台守の宿舎であった「燈台退息所」が3棟並んで展示。最初にあるのが、明治4年(1871)、「日本の燈台の父」と呼ばれているイギリス人技師R.H.ブラントンの設計・監督による、淡路島にあった洋風で石造りの重厚な建物「旧江埼燈台退息所」。中央が、同じくR.H.ブラントンの設計・監督で正面の円柱列が印象的な、香川県坂出市の沖合、鍋島にあった「旧鍋島燈台退息所」、明治6年(1873)に竣工されたそうだよ。さらにその隣が、明治36年(1903)建設のレンガ造の愛媛県松山市の沖合クダコ水道から移築した「旧クダコ島燈台退息所」。民家が点在していたエリアとは雰囲気が一変して、花もたくさん植えられているし洋風なガーデンといった様相。四国村の中では一番の高台にあるから見晴らしもよく、一休みするのには最適なところだよ。


旧江埼燈台退息所


旧鍋島燈台退息所


旧クダコ島燈台退息所

旧下水家住宅
旧中石家住宅

旧下水家住宅は、冬の間は雪で閉ざされた徳島県美馬郡一字村、剣山麓の北斜面、標高1000mのところにあった山村農家を移築したもの。安永10年(1781)の建物で、上屋梁、下屋梁に穴をあけ一本の柱を通すという「おとしこみ方式」で組まれているんだよ。黒光りする太い梁を組んだ空間構成は力強く魅力的でした。旧中石家住宅は、平家の落人村として有名な祖谷(いや)の民家で、いずれも萱葺の葺き降ろしの主屋、隠居屋、納屋が一列に並んで建っているのが祖谷の民家の特徴だそうです。隠居屋が、出入りが楽にできるように床を低く作ってあったのが印象的でした。バリアフリーの先駆けだね!最後に、出口手前にある白い洋館が異人館。明治38年(1905)イギリス人ウィリアム・ダウン氏の住宅として神戸市に建てられ、日本人の奥様の名前によりワサ・ダウン住宅と呼ばれていたそうです。昭和51年(1976)に四国村に移築されたんだって。1階がカフェで2階が事務所として使われていました。建物の表にあるポストとガス燈はロンドン西南部のチェルシーにあったものだそうです。四国村の中で唯一ここだけは異国情緒を感じさせてくれるよ。


異人館

今回、さまざまな民家や民具を通じて、四国の文化や風土を垣間見ることができたよ。四国村は、一度きりではなく、何度か足を運んで、散策したり、景色を眺めたり、ぼんやりしたり、そして懐かしさに触れ、いろんなことができる施設!アイの心には、「来たことのあるはじめての場所」として深く刻み込まれました。

アイの知って得する豆知識

祖谷のかずら橋

民謡「祖谷の粉ひき節」にも歌われる、かずら橋は、平家の落人が源氏から逃れるために、いつでも切り離せるようにと、山間に自生するシラクチカズラのつるを編んで作った橋といわれているの。橋の長さは45m、水面からの高さは約14m、幅は1.5mでちなみに橋を渡る料金は500円で一方通行だよ。安全のためにワイヤ・ロープで補強されているけど、深い谷間に架かっているから、一歩踏み出すごとにゆらゆら揺れてスリルと風情を楽しむことができるよ!3年に一度、安全のため架け替えられているそうだよ。山梨県の「猿橋」、山口県の「錦帯橋」とともに、日本三奇橋のひとつに数えられていて、国の重要有形民俗文化財に指定されているの。


祖谷のかずら橋


足元から渓流を望む


渓流から橋を望む

日本一の高燈籠


高燈籠


琴電琴平駅 駅舎と高燈籠を望む

こんぴらさん(金刀比羅宮)の門前町で有名な琴平町。琴電琴平線 琴電琴平駅の駅舎のすぐお隣に日本一の高さの高燈籠があるの。気がつかないと、そのまま通りすぎてしまうけど改めて目線をあげてみると、その大きさにびっくりしてしまうよ。四国村あるいはこんぴら参りの前後にでも見学してみてね。慶応元年(1865)に建てられて高さは何と日本一の27.6m!石積みの台に載っていて、二層瓦葺の木造燈籠だよ。

四国村(財団法人 四国民家博物館)

所在地
高松市屋島中町91
電話
(087)843-3111
URL
http://www.shikokumura.or.jp/
入村時間
午前8時30分 ~ 午後5時(11月-3月は午後4時30分) / 年中無休
入村料
大人800円