創造人×話

江戸時代から続く伝統を継承しながら、今の時代が求める風鈴のかたちを追求していきたいと考えています。

篠原 由香利さん江戸風鈴職人

今回は江戸風鈴職人の篠原由香利さんをご紹介いたします。
篠原さんは江戸時代から受け継がれてきた技術を守り続ける「篠原風鈴本舗」の4代目です。
日本に2軒しかない江戸風鈴の製造元のひとつとして、伝統を大切にしながら、その魅力を多くの人に届ける活動を行っていらっしゃいます。
ご自身の洗練されたデザインが高く評価され、人気アニメや音楽、アパレル、各種イベントなど異分野とのコラボレーション作品も多く手がけ、伝統と現代をつなぐ風鈴づくりに取り組む、注目の職人さんです。

篠原さんは、子どもの頃から家業を継いで、いずれは江戸風鈴職人の道に進むことを意識されていらしたのでしょうか。

朱色には魔除けの効果があるとされ、江戸時代には赤い風鈴が主流だった

小さい頃から自然と工房に入り作業の手伝いをしていましたし、小学校高学年になると、簡単な絵付けもしていたのですが、妹が家業を継ぐと言っていたこともあり、私はむしろ「9時から17時で終わり、土日が休みの仕事」に憧れを持っていました。

大学も文系に進み、事務職に就こうかと思ったものの、その当時は就職氷河期で就職も厳しく、また実際に自分がどんな仕事をするのか具体的なイメージがわかないことに気づきました。
そこで、幼少期から手伝っていただけに、仕事内容については大体把握できていた家業に入り、風鈴づくりの道に進むことにしたのです。
とはいえ、実際に仕事として関わると、ただ工房で風鈴をつくっていればよいわけではなく、販売も大切な仕事なのだと実感しました。

入社当時は百貨店の工芸展に立つことが多かったのですが、初めの頃は接客が苦手で「いらっしゃいませ」のひと言すら上手く言えなくて苦労したことを覚えています。
ただ幸いにも販売員さんが祖父や父のことを知っていて親切に教えてくれたり、お客さまも寛容な方が多かったりしたおかげで、徐々に慣れることができたように思います。

爽やかな音色で涼を運んでくれる夏の風物詩として、日本人に長く親しまれてきた風鈴ですが、その起源はどこにあるのでしょうか。

ガラス玉の内側に描く絵付けの様子

風鈴は、約2000年前の中国で、竹林に下げて風の向きや音の鳴り方で物事の吉兆を占う「占風鐸(せんふうたく)」という道具がその起源とされています。
日本には仏教の伝来とともに伝わり、お寺の四隅に吊るして魔除けとして用いられてきました。
後に浄土宗の開祖・法然によって「風鈴(ふうれい)」と名付けられ、やがて「ふうりん」という呼び方が一般的になったと言われています。

江戸時代中期になると、それまでの銅や鉄製のものからガラス製の風鈴がつくられるようになりますが、ガラスの原料が貴重だったため、その頃の価格は現在の貨幣価値に換算すると数百万円もする大変高価なものだったそうです。
その後ガラスの価格が徐々に下がると庶民の手に届くようになり、縁側に吊るして楽しむ習慣が広がりました。

古来より、魔除けという意味合いを持っていたとは非常に興味深いです。近代になるまで、風鈴を魔除けとして夏だけではなく一年中吊るしていたのですね。篠原さんが手がける江戸風鈴には、どんな特徴がありますか。

江戸風鈴は、江戸時代から伝わる技法を今も東京(江戸)で受け継いでいることから、篠原風鈴本舗の2代目、篠原儀治が名付けた手づくりの風鈴の名称です。
ガラス製で一切型を使わず宙吹きでつくること、音色をよくするために風鈴の鳴り口を砥石で削り、あえてギザギザにしていること、そして絵柄が長持ちするようにガラスの内側から筆を使って絵付けをすることの3点を大きな特徴としています。

ガラス吹きから絵付けまで、全て手作業で行っており、ギザギザの度合いやガラス玉の大きさ、厚みなど、ひとつとして全く同じ形の風鈴はないので、一つひとつの音色も異なり、大量生産にはない手作りのよさがある点も魅力だと考えています。

小丸 赤富士
小丸 あじさい紫
部屋の中に飾れるスタンド

風鈴といえば、花火や朝顔、金魚などの夏らしい絵柄が浮かびますが、篠原さんは伝統柄だけではなく、時代に合わせた新しいデザインの絵付けにも挑戦していらっしゃると伺いました。絵付けの難しさや面白さについてお聞かせください。

絵付けは、ガラス玉の内側に下書きをせずに描き、刷毛と筆を使い分けながら色のグラデーションやデザインを風鈴に落とし込んでいく工程が基本となります。
子どもの頃に絵付けを始めた時は、内側から描くため、その距離感をつかむことが難しかったことを覚えています。
外側から正しく見えるように、文字は鏡文字にする必要もありますし、色の重ね方にもルールがあるため、慣れるまでは大変でした。

風鈴は芸術品というより“使われるもの”ですので、時には100個、1000個という数量を同じクオリティで、ある程度のスピード感を持って仕上げなければならず大変ではありますが、それがこの仕事のやりがいでもあります。

絵柄については、もともとガラス風鈴は赤が主流だったことをご存知ですか?

宝船と松で“宝船(福)を待つ” を表している

風鈴は透明なガラスのイメージでした。赤が主流だったのにはどんな理由があるのでしょうか。

東京の風景と空色のコントラストが美しいTOKYOシリーズ

古来、朱色には魔除けの効果があるとされ、風鈴は疫病を音と色で追い払う縁起物のような存在でした。
江戸時代には、赤く塗った風鈴に宝船と松を描き、“宝船(福)を待つ”とかけるなど、江戸っ子らしい洒落の効いた絵柄が人気だったようです。

その後は涼しげなガラスの透明感をいかして、朝顔や花火などの夏らしい絵柄を描いた風鈴も定番となりましたが、私たちは伝統柄に加え、モダンな絵柄やデザインにも力を入れています。

祖父や父がよく言っていた「伝統を守るのは作り手ではなく、それを使ってくださるお客さまである」という言葉を受け継いで、時代に寄り添った新しい風鈴を生み出し、風鈴に馴染みのない方にも手に取っていただけるような身近な存在にしていきたいと思っています。

江戸風鈴の伝統を守りつつ、既成概念にとらわれない絵柄にも挑戦されていらっしゃる篠原さんは、人気アニメや企業、各種イベントとのコラボレーションも数多くされているとお聞きしました。

髑髏

日本に2軒しかない江戸風鈴の工房ということもあり、おかげさまでさまざまな企業からコラボレーションの依頼をいただくことがあります。
人気アニメ「鬼滅の刃」の制作会社から、劇場版アニメの中で江戸風鈴を使いたいとご連絡をいただいた時も、最初は信じられなかったのですが実際に映画の中で音色が使われることになり、とても嬉しく思いました。

他にも、世界遺産・二条城で開催された夏の夜間イベントで、京の七夕とのコラボの装飾に風鈴をご使用いただいたり、某ハイブランドからのご依頼でノベルティとしてオリジナル江戸風鈴をつくったりと、想像もしなかった仕事をいただくこともあり、江戸風鈴の新しい見せ方として可能性を感じるとともに、知名度の向上にも貢献してくれています。

江戸風鈴をつくり続け、次世代に繋げていくために、大切にしていらっしゃることについてお教えください。

東京の街並みと髑髏が同居するオリジナリティあふれる絵柄

コロナ禍の時には、それまで開催していた制作体験の申し込みや百貨店などの催事も全て中止となるなど、厳しい状況になったのですが、疫病よけの妖怪「アマビエ」の風鈴をつくってSNSで投稿したところ、新聞社から取材が来て反響を呼び、ネットショップでかなりの売れ行きになりました。
もともと魔除けの意味を持っていた風鈴がアマビエのパワーをもらい、ピンチを乗り切ることができたような気がして、とても励まされました。

これからも伝統を継承しつつ、時代に合わせて新しいことにチャレンジしていく精神を大切にしていきたいです。
実際に風鈴を使ってくださっているお客さまからの言葉がものづくりのヒントになることも多く、江戸風鈴のよさを再認識できる側面もありますので、そうした声をしっかりと聞いて、現代の住まいやライフスタイルに合った風鈴のあり方を模索し続けていきたいと考えています。

最後に今後の展望について、少しお聞かせください。

制作体験や工房見学など風鈴を知っていただく機会を可能な限り増やして、江戸風鈴の魅力を伝える活動をもっと広げていきたいです。
また、篠原風鈴本舗には黒マルという猫の隠れ店長がいるのですが、黒マルと名画を組合せたユニークなデザインの風鈴も計画中です。
浮世絵をモチーフにした風鈴はすでにあるのですが、ただ絵を写すのでは風鈴である必然性が感じられないので、少し違った切り口で挑戦したいですね。

新しい風鈴のかたちに繋がる可能性を探りながら、楽しく風鈴づくりを続けていこうと思います。

篠原 由香利(しのはら ゆかり)

1981年東京生まれ、大学卒業後の2004年、家業の篠原風鈴本舗に入社。
3代目の父・篠原裕氏の没後、4代目として「江戸風鈴」を世に広めている。
風鈴づくりでは主に絵付けを担当し、伝統柄から現代の暮らしになじむモダンなものまで、さまざまな風鈴を制作。
2011年第7回東京の伝統的工芸品チャレンジ大賞奨励賞、2016年第33回江戸川伝統工芸展区長賞受賞など数々の賞を受賞。
洗練されたデザインが高く評価され、人気アニメや音楽、ハイブランドのアパレル、各種イベントなど異分野とのコラボレーション作品にも関わっている。