創造人×話

地図を読み解くことで見えてくる、人々の日常の地図を描いています。

今和泉 隆行さん空想地図作家、株式会社地理人研究所代表

今回は、空想地図作家の今和泉隆行さんをご紹介します。本当に実在する街なのでは?と思わず勘違いしてしまうほどリアルかつ緻密な“この世のどこにも存在しない街”を空想地図として生み出し、新たな地図表現の世界で注目を集める今和泉さんは、地理人という別名もあり、多方面で活躍されています。「タモリ俱楽部」などのテレビ番組やラジオなどにも数多く出演されていらっしゃるのでご存知の方も多いのではないでしょうか。

空想都市「中村市(なごむるし)」部分

今和泉さんは7歳の頃から、空想地図を描き始めたと伺いました。最初に地図に興味を持たれたきっかけからお聞かせください。

子どもの頃は横浜に住んでいて、週末になると、父がよくバスを使って色々なところに連れて行ってくれました。バスから見る景色が徐々に変わっていくことが興味深く、帰ってきてからバスの路線図を見ては、まだ行ったことのない場所を想像して楽しんでいました。

それから5歳の時に東京都日野市に引越しをしたのですが、インターネットがなかった時代ですので、近くのスーパーや病院を探すなど、生活に必要な情報を得るために地図を使うのは当然で、家の中でも手の届く場所にいつも地図がありました。日常的に地図に触れているうちに自然とバスの路線図から地図へと興味が移っていったように記憶しています。地図を見て街の風景を想像することが面白くなり、7歳で空想の地図を描き始めました。

今もなお必要に応じて改訂を続けていらっしゃるという空想都市「中村市(なごむるし)」の地図をつくり始めたのは何歳の頃ですか。

1997年、私が12歳の時です。5年生の時に中村くんという転入生が同じクラスになって友だちになり、空想地図に興味を持ってくれて、お互いに描いたものを見せ合うようになりました。その頃に描いた空想都市の地図が「中村市」の原型となり、市の名前は中村くんから拝借しました。

中学生、高校生になっても空想地図づくりは続けていて、将来は「まちづくり」を学びたいと思い理系を志望していたのですが、物理の単位を落としてしまったため、文系に進路を変更して私大の地理学専攻に進みました。でも大学2年生の頃に、地理学は研究者になるか、学校の先生になるしか道がないということに気づいてしまい、大学編入を決意。私立から国立に移るのであれば親も説得しやすいし、時間もお金も無駄にならないと思い、まちづくりのゼミがある、国立大の経済学部に3年次編入しました。

中村市 詳細都市地図
中村市の地図は現在も更新中で進化を続けている
左、中村市内のコンビニなどのレジ袋
右、クレジットカード、ショップのポイントカードなどをリアルに再現した中村市内の落とし物
中村市民の出したごみ

ご自身を冷静に分析する能力に長けていらっしゃるように見受けられますが、大学生活はいかがでしたか?

大学では、まちづくりのゼミで学ぶ傍ら、都市設計コンサルタントでのアルバイトも始めました。ちょうどその時期は平成の大合併が終わる頃だったこともあり、少ない仕事の奪い合いのような状況で、そこには、100ページ以上の提案書を準備しても契約が出来なければ無駄になるなど、過酷な労働環境に身を置く社員の姿がありました。

まちづくりの一端を垣間見ることができたことは、とても良い経験でしたが、まちづくりを主軸にしていく仕事は自分には向いていないのでは?と思うようになり、大学卒業後は、とにかく社会を見てみようという気持ちでIT企業に就職しました。

大学時代も空想地図を描くことは続けていらしたのでしょうか?

大学2年から数年間は空想地図制作を止めて、その代わりにアルバイト代で全国47都道府県300都市を回るという地方都市巡りをしました。日本全国の土地勘を養うことを目的としていたので、名所や観光地を訪れるという旅ではなく、百貨店やショッピングセンター、商店街など不特定多数の人々が集まる場所へ行き、それからバスに乗って住宅地のある郊外に行って、その街に暮らす人の生活を感じ取るといった旅でした。

クリエイターたちとの共同作業で浮かび上がる中村市の暮らし

デパートの紙袋と包装紙(ホンダノホンダナ 作)
店舗の看板(タナゴ 作)
住人の生活がうかがえるポストの中身
(佐藤香織 作)
中村電鉄 電車内の案内表示装置
(Mr.Densha・ばつまる 作) ©小林哲朗
中村電鉄 電車内の路線図
(Mr.Densha 作) ©Naoya Matsumoto

就職されてから、空想地図作家として活動を始めるまでの道のりをお教えください。

新卒で入ったIT企業は、結局合わなくて2年で辞めました。営業する積極性が全くないので、自力で稼ぐことは望んでいなかったのですが、会社員も合わなかったので、派遣社員やアルバイトをしながら、デザインの仕事をフリーで受けつつ、合間に空想地図関連のイベントや著述を始める自営業になります。SNSなどを使って自分から発信することは苦手なのですが、たまたま参加したイベントで話をすると、そこでご一緒した方々に多くのフォロワーがいたりして、徐々に認知されるようになり、出版やテレビ出演などの依頼をいただくようになりました。

本の執筆は、書いている途中どう書けば良いか分からなくても書き進めるしかなく、おもしろくなければ最初から書き直したりする場合もあったりと、苦しくはあります。テレビは瞬間的に反応があるのに対し、本の方がたとえ少ない人数であっても読者には深く理解していただけるので、他の仕事にも繋がったりして、ありがたいと思っています。既に地図が好きな人に向けた趣味書はあっても、地図が苦手な人向けの本はこれまでなかったようで、私は今のところ地図にあまり興味がない人や方向音痴の人に向けた本を書いているのが現状です。

空想地図をつくり続ける面白さについてお聞かせください。

空想地図は、ミクロとマクロを同時に思い浮かべながら描くことが大切です。全国の都市を訪ねて、それぞれの地域の街から郊外までの様子を知ったこともあり、自分の描いた空想地図にリアリティがないと感じた部分があったら、その箇所を描き直すなど、今でも修正は続いています。「中村市」は城下町ですが、地形や歴史など多くの観点で修正意見をもらいながら、昔の街道の形状を修正することもあります。世界を俯瞰する作業は私にとって、面白さというよりも、むしろ日常になっているような気がします。都市シミュレーションゲームとして有名な「シムシティ」や「A列車で行こう」は、市長になったり経営者になったりしてゲームをしますが、空想地図を描く時の私は、ただの1人の調査員として、私の理想の街ではない現実的な都市を想像しています。空想地図を見る人の想像力を刺激し、楽しんでいただけたら幸いです。

最後に今後の展望について、少しお教えください。

著書 左から 『「地図感覚」から都市を読み解く—新しい地図の読み方』、『考えると楽しい地図:そのお店は、なぜここに?』、『みんなの空想地図』

すでに9割程書き終えている1冊を含め、企画が決まっている書籍が4冊ほどありますので、本の執筆は今後も続く予定です。また、空想地図は、当初地図内に登場する架空のコンビニなどの店舗のロゴマークを用意しましたが、地図以外の空想創作物を用意すると、空想都市鑑賞の入り口が広がるのではないかと思いました。

最近は、多ジャンルのクリエイターとの共同作業も行っており、年季の入った商店街の看板や集合住宅の郵便ポストなど、その街の暮らしの一部となるものを制作し、2020年から2022年にかけて美術館やギャラリーで展示しました。これからも、空想調査員として都市の日常を再現できる作家に参画していただき、空想の日常が香る空想都市の世界観を少しずつ拡張していきたいと思います。また、海外に行くハードルが下がったら、ヨーロッパやアラブ諸国など、これまで行ったことのない外国の都市を訪れる旅にも出かけたいですね。

今和泉 隆行(いまいずみ たかゆき)

7歳の頃から空想地図(実在しない都市の地図)を描く空想地図作家。大学生時代に47都道府県300都市を回って全国の土地勘をつけ、地図デザイン、テレビドラマの地理監修・地図制作にも携わるほか、地図を通じた人の営みを読み解き、新たな都市の見方、伝え方作りを実践している。空想地図は現代美術作品として、各地の美術館にも出展。主な著書に『みんなの空想地図』(2013年)、『「地図感覚」から都市を読み解く—新しい地図の読み方』(2019年)、『どんなに方向オンチでも地図が読めるようになる本』(2019年)、『考えると楽しい地図:そのお店は、なぜここに?』(2022年)。

※「SimCity(シムシティ)」は米国企業Electronic Arts Inc.の商標です。「A列車で行こう」は株式会社アートディンクの登録商標です。